夢幻の更新記

物事を隠し通す事の辛さ。

10月1日(金)

 今日のキーワードは「冗談じゃない」だ。まずは競馬でいこう。ナリタブライアンの菊花賞。今年ならリワードニンファの関屋記念。マジックでいこう。必勝で使った「憎悪」をカウンターされたとき。相手のライフが2で「黙示禄」を打つが結局それ以降土地を一枚も引けずに負けた時。冗談じゃない。

 今日は日本橋へ行った。しかしどこもかしこも決算棚卸中で営業は17:00よりとか挙句の果てには臨時休業とか。冗談じゃない。そしてお目当てのキュベレイを探すもどこにもない。一番期待していたところでは発売日当日、150個が30分で完売したのだそうだ。冗談じゃない。そして次回入荷が未定。取り寄せも不可。もひとつ冗談じゃない。

 ただ今馬鹿アニメ観賞中。首筋が痒くなる事数十回。後悔する。冗談じゃない。とまあ散々な一日だった。でもまあ「ヨーグモスの取り引き」がシングルで一枚¥1,200には驚いた。いや、その安さにだ。¥2,000近くはすると思ってたので思わず二枚購入。ラッキ。

 帰りの電車は満杯だ。これまた冗談じゃなかった。

10月2日(土)

 最近の俺はピリピリしている。自分でもそれが良く分かる。サラブレッドは疲労が溜まるとカリカリして鞍上の指示に従わなくなる事がある。パドックなどで俗に言う「チャカつく」というのは大体この状態の事を指す。今の俺はその状態だ。

 いやもう寝れない寝れない。眠くて寝たいのに寝てはいけない。ここのところずっとそんな感じ。いや別に睡眠時間の短さを自慢するような中学生でもしないようなことを言いたいわけじゃない。ただ、その原因だけは知ってほしいかななんて思うだけだ。

10月3日(日)

 この日記は4日に書いています。3日は人の家に泊まりに行ったのでアップできませんでした。出来ない事もなかったんだけど、まあそこまでしなくてもいいかな、と思ったのでほっときました(笑)。

 日曜日はそう、凱旋門賞の日でした。家は衛星が映らないので頼んでおいてビデオに撮ってもらったのです。結果は愛ダービーなどを勝った今季最強の四歳馬、モンジューが日本のエルコンドルパサーを半馬身押さえて優勝した。そう、エルコンドルパサーは二着でした。詳しいことは競馬コーナーにも書いてますのでよければご参照を。

 お酒を飲んだ日でもありました。あそこは俺も大好きです。

10月4日(月)

 いや、JRで帰ったらダメじゃん(苦笑)。地下鉄で定期券買うのを思いっきり忘れてた。携帯電話の振り込みも忘れてた。ところで今日はマジックについて。ちょとだけ。新エキスパンション「メルカディアン・マスクス」の「闇市場」。黒のレアカード。禁止じゃないか?おかしくない?これが青だったらまだわかるようなきがするけど、黒?・・・。これと「生命吸収」が四枚づつと「ヨーグモスの取り引き」の入った黒単超速攻スーサイドブラックはどうだ!?

 ということで帰りの電車で保育園来の親友に会ったりする。早くPC買えよ!どうせマックなんだろうけどさ。

10月5日(火)

 「無人島物語3」というゲームをご存知だろうか。今でこそ「無人島シリーズ=ギャルゲー」の方程式があるものの、最初はれっきとした戦略SLGだった。その質も高く、最高峰だった「3」では極めて理不尽な、でも不可能という気にさせない難易度を誇った。「たけしの挑戦状」のような、理不尽で理解不能な難しさではなく、理を詰めるとなんとかなりそうな、でも絶対的な難易度が高く手も足も出ないというようなゲームだった。

 悲しい事この上ない。ギャルゲーはおろか、今や18禁にまで至ってしまったこのシリーズを見るたび溜め息が出そうになる。俺が買わなくなった理由がこれだ。一般から18禁へ移行した場合、逆はともかくとして質が落ちてしまう。まだ続いているこのシリーズはそれを如実に語っている。

 俺はこのゲームをクリアする事を諦めた。諦めざるをえなかったのだ。「ゲーム評価一覧」のところでも少し書いたがハッキリ言って攻略本無しではクリアは不可能だろう。以前に攻略本なんか発売してないが。「Log−in」に昔攻略記事を連載していたが、その難易度に途中打ちきりとなったことを覚えている。慌てふためいたのは俺のほうだ。

 誤解されても仕方のない、落ちていくものは数限りなくある。でも俺はこのシリーズをギャルゲーという認識はしないだろう。待ち望むのは移植ではあるが、もうこのまま消え去っていくのもいいかもしれない。あの難易度は思い出すだけで鳥肌が立つ。

 覚えておいて欲しい。「無人島物語3」は優秀な、評価されるべき作品であった事を。

10月6日(水)

 ここのところ競馬とマジックとゲームの事しか書いてないので別の事を書こうと思う。時事ネタにしても興味を引くような出来事はないし、スキャンダラスなネタは記事にする方も、それについてああだこうだと書く人も哀れに思えるのでやっぱり別のことにする。

 超能力。これだ。難しく考える必要はない。ムカツクやつに「ピン」と念波を与える事でその相手の頭部を瓦解させる能力。欲しくない?俺は欲しいぞ。まず朝。隣の罪もない住人に対して試射。頭破裂。「ボン!」とかいって。そして駅。いつもウザそうで愛想のない駅員に対して発射。おめでとう、あの世行き。車内。隣の席で音立てながら物を食べる奴。席を立って離れて発射。血なのかジャムパンの中身なのかわからない惨劇。

 店に行く途中でとりあえず3〜5人は天国へ。そして仕事中。もう店の中はえらいことになるだろう。アニメ専門店なのかスプラッタショップなのかわかったもんじゃない。とりあえず駆けつけるのは警察ではなく葬儀屋だ。

 俺ってちょっと危ないやつ?別にこんな事考えながら道歩いてるわけじゃないんだけど。まあ馬の事ばかり考えながら道歩いてるのとあんまりかわんないか。「Deadly Insect」の有効活用法を考えても同じか(笑)。

 俺なんかペットの犬にやられるな(苦笑)。朝起きたら踏み潰してる事もあるし・・・。

10月7日(木)

 この日はどうやら寝てしまったらしい。帰ってカレー食べた後の記憶が全くない。起きたら明朝5:00。事実を確認するのに数秒を要したものの、すぐに寝た。ここのところ日記が危うい。週記にはならないだろうが、「隔日更新」の可能性も出てきた。危ないなあ、もう。

 ゲームはもはや諦めてしまった感が強いので気にならないものの、雑誌だけは読むように心がけたい。今日(8日)コンプティークを買ったものの、先月、先先月分と読んでいない。でもまあ「別にいっか」で終わってしまうような雑誌なのでかなりどうでもいい(聞いているか角○書店よ。こういう読者がいるからこそ、この雑誌は廃退の一途を辿るんだ。悔しかったらギャル以外の表紙で部数を稼いでみろ。あの表紙はかなり哀れだ)。

 ここで毒を吐いても仕方ないのでやめよう。ただしこの企業は接客の態度もかなりなっていない。店として電話をかけてあの態度なら、客が電話した時の対応など想像するに余りある。俺はあの企業は嫌いだ。

10月8日(金)

 俺は見切りをつけるのが早い。「最近冷たい」という言葉を最近耳にしなくなったが、昔はよく言われたものだ。そりゃそうだ、わざとだもん。俺の付き合いは基本的に「極端に深く、極力浅く」であり、不必要に知人・友人の類はいらないと思っている。というか勝手に増えていくものなのでどうこうしたってどうなるものでもないが。で、「こいつとはもうサヨヲナラ」とか思う時がたまにある。随分前の日記に書いた「時間にルーズな友人」との縁は切って久しい。今更友人として接するのは不可能だ。もはや、知人。

 たまに店に来る(接客した事もある)が、至って普通。そこに「客と店員」以外の会話は一切ない。

 俺は同族嫌悪のきらいがあるが、基本的に好きな作品を褒めまくって勧める。趣味の合わない人間と長期的な付き合いは持たないと踏んでいる人間だから、「そういえばこれ(俺の好きな作品)の事を言わなくなったな」と思える人、要注意。話さなくなったのではなく、話しても仕方がない、分かってもらえないと思っているからなのだ。こうなると落とすのは早い。

 無理に友人関係(これが恋愛関係であっても変わらないが)を続けるくらいならばいっそ斬ってしまった方がいいと思うような人間である。薄情と思われる人もいるかもしれないが、俺と共通した趣味を持たない人間は友人としてあまり関係を続けたくはないと思っている。だから俺に不機嫌はない。「冷たい」のだ。で、それはわざとである。

 一人の親友と、一人の恋人。これが最高の形だと思うが、みなさんはどう思われるだろうか。

10月9日(土)

 俺が使ってる「禅ネット」のサーバー交換が10/2に行われていた。それによってメールの送信が出来なかったり、ホームページの具をアップしようとしてもFTPソフトが辿りついた先はサーバー内のわけわかんない所だったりしたわけだ。ちょっと前の事なので心当たりのある方もおられるだろう。

 で、問題は交換前のサーバーにも俺当てのメールが残っていた、と言う点だ。確かに禅ネットのホームページにそういった記載はあったし、取りこぼしたメールは連絡するという旨だった。で、今日その連絡のメールが来た。言われるままにサーバーのIPアドレスを変更し、メールを受信。どうやら俺も取りこぼしていたようだ(苦笑)。で、問題はそのメールの内容だ。

 めっちゃ重要じゃん!(笑)。いや、笑い事じゃないのよ。このメールを受け取ったのが今日。で、送信日時が10/2。多分送信した本人もここを読んでいる事だろう。ゴメン!今読んだ!とまあこの場を借りて謝っておく。

 ということでサーバーの交換で何の利点があるのか、そういった方面の知識を持ち合わせていない俺としてはただ困惑するだけなのだが、とりあえずまいった、ということである。一週間過ぎてるもんな〜。う〜ん。

 ほんと、ゴメンね。

10月10日(日)

 日曜恒例競馬の話。って「今週の重賞結果」で書けよ、って感じ?まあいいじゃん。誰も見ないんだもん、ここに書く(泣)。今日は京都大賞典と毎日王冠。これを読んでるのがまだ日曜日の人。TVをつけて競馬速報を見てくれ。両方。

 スペシャルウィークが沈む。必勝を期して臨んだ京都大賞典では波乱が起きた。

 グラスワンダー辛勝。TVを見る限りやや不利な感じだったが何とか勝った。

 これが馬の違いであろう。競馬はこの世の中以上に「結果論」の世界だ。勝ったものは負けたものより強い。それが例えどんな条件であれ、だ。例えば日本競馬界の最強馬、シンボリルドルフがなぜ未だに伝説として語り継がれるかというと、その”強さ”だからだ。

 ルドルフの当時のタイムは、ハッキリ言ってしまうと今の未勝利馬よりも遅い。つまり、ルドルフと今の未勝利馬が走った場合、勝つのは未勝利馬の方なのだ。これが現実であり、語られるべき真実なのかもしれない。だが、ルドルフは伝説として具現化している。これも真実だ。

 順に「皐月賞」、「東京優駿」、「菊花賞」、「有馬記念」、「天皇賞(春)」、「ジャパンカップ」、「有馬記念(二回目)」の合計GT7勝。こんな馬は二度と現れないだろう。常にビゼンニシキやカツラギエース、ピークを過ぎていたとは言え先輩の三冠馬ミスターシービーなど、草々たるメンバーの中に身を置いてのこの成績である。これはもうタイムがどうとかは関係ない。その当時の人々に与えた影響力が問題なのだ。

 例え辛勝でも、グラスワンダー五歳の毎日王冠は「勝利」の二文字で飾られる。対してスペシャルウィークの京都大賞典は、いかに長期休養明け、始めて背負う59kgの酷量とはいえ、「敗北」である。プロセスも大事だが、絶対に「結果」には敵わない。

 「現役最強」の名を守ったのはグラスワンダーだ。これには誰も、文句は言えないはずなのだ。

10月21日(木)

 人は強くなければならない。人に甘えて、人に依存して生きていく事は決して褒められるものではない。・・・などと小賢しい事を書くとまたも想像もしないところからツッコミが入ったりするのでやめておこう。今日もバカな事を書いて終わりにする。

 ・・・というかネタがない。いや、あるにはあるんだけど。あ、でも・・・う〜ん・・・。あ、そうそう。今POG(ペーパーオーナーゲーム。しかも俺達のルールはかなり可変的)をやってるんだけど、馬を選ぶ際の要素で何が一番大事かというと、「名前」に他ならない。

 どう考えても「メイショウオウドウ」よりも「ファレノプシス」の方がカッコイイし、強そうだ。名前だけで選んでそれがかなり強かった、という馬が何頭かいる。ビハインドザマスクが典型的な例。あとは兄姉で選ぶ。プリモディーネにロサードはそれぞれ兄、姉から選んで大成功だった馬。

 ゲームを買う際でも何かしらタイトルを気にする。で、失敗する。これは例をあげると切りがないので省略。「マール王国の人形姫」を買った時はゲームの内容なんてまるで知らなかった。冒険である。今でもたまにやる。

 基本的に横文字に弱い。典型的な日本人(笑)。でもま、いいか。別に悪い事じゃないしね。

10月22日(金)

 人には誰にだって尊敬する(した)同性の人物がいるだろう。今日はその人のお話。俺は缶コーヒー中毒に近い。コーヒー牛乳中毒に近いけれど・・・。家にいても、通勤、その帰りにもよく飲んでいる。けれど生まれた時からかというと、無論そうではない。

 良く飲むようになったのは高校のはじめの頃からだ。間違いない。高校に入って始めての三学期、俺は早々にバイトに勤しんでいた。試験管と睨めっこをしたり、その試験管につけるキャップと戯れたりと、時給は安かったもののなかなか楽しい職場だった。その頃、春休みの間だけ帰郷して、休みの間だけ働くという大学生が入ってきた。

 すぐに仲良くなった。よく競馬の話や農植物の話(彼の専攻がこれだった)をして盛り上がったものだ。で、その彼がよく缶コーヒーを飲んでいた。しかもそれがなかなかにになっていた。俺はこの瞬間、「缶コーヒーの似合う(?)カッコイイ大人になりたい・・・」と感じるようになり、大して美味しくもない、苦い飲み物を痛飲するようになった。

 積もれば山になる。飲んだ総量は考えただけで吐きそうになる。今でも収まってないし。2〜3日前の日記に「大人とはこういう人のことを言うのではないか?」みたいな事を書いていたと思う。彼がそうだ。今や使われなくなってしまった”好青年”という言葉が実によく似合った。今の俺は彼に近い年齢になった。いや、なってしまった。

 あの頃、数年経ったら彼のような人間になりたいと思っていた。今がそうだ。が、足元にも及ばない。あの頃からほとんど何も成長していない。身体的にも(苦笑)、精神的にも、だ。今、彼に会えるとしたらあわす顔なんてない。

 会えるとしたら、と記したのはもう会う事はないと思うからだ。こんなことを今までいくつか書いてきたが、再会の可能性が極端に低いからこそ書くのであって、もし近いうちに会うのが予想できるならば書く事は無い。彼は、北海道の大学に行っていた。で、将来はそこで農業の研究に入るとの事だった。バイト最後の日、「もう会えないかもしれないけど、頑張れよ」なんて言われた。

 「何に頑張るんですか?」と返したら、「全部にに決まってるだろ?」と返された。臆面も無くこういった返答が出来る人間を、俺は尊敬する。缶コーヒーを飲むたび彼を思い出す、なんて言えるほど感傷的ではない。ただ、ふと思い出した時、ああいった大人になるにはまだまだ努力不足だなと痛感する。尊敬と言う言葉を始めて実感させてくれた始めての人だった

 思い出は美化されるものだが、これは俺の思った事。つまり事実だとして聞いて欲しい。

 もし会う事が出来るなら、彼に殴ってもらいたい。今まで何をしてきたんだ、と詰って欲しい。俺にそんな事が言える人間は、本当に数少ない。他の人間から(特に分かった風に言う人間に対しては)言われても右に左だ。聞いてやしない。

 ただ悔やまれるのは一度もちゃんとしたお礼が出来ないでいる事だ。ま、お礼した所で「何が?」なんて言われるんだろうけど(笑)。

10月23日(土)

 因果応報という言葉が大好きだ。この世の全てを内包してくれる、数少ない優れた言葉の一つだと思う。全ての「結果」にはそれぞれの「原因」が必ずあって、それによって、「応」えられ、また、「報」いられるのだ。こんな話をすると知ってる人は「またYU−NOかよ」と思われるかもしれないがご愛嬌と言う事でお許し願いたい。

 何かしら悪い事が起きたらそれには必ずその原因があるわけで、そこに偶然だの運命だのというあやふやな概念が入りこむ余地はない。逆もまた然り、だ。この考え方が実行できたならあなたは一つ大きくなれる。悪い事なんて出来ないはずだし、他の人に対して悪意を持つ事もなくなるだろう。

 悪い事は悪い事しかもたらさないし、良い事をすれば必ず自分に返ってくる。どうしてこんな小学校の道徳の時間みたいな事を書いてるかというと、特に意味はない。いつも思ってる事を書いてるだけだ。俺の日記はほとんどそう。意図的に書いたものの方が少ない。

 運命や偶然というものを俺はあれ以来信じる事が出来ない。この世の全ては必然だと思っている。それが真実かどうかは絶対に分からない。要は信じている事が大事なのだ。この考え方をしている人は多分日本に20万人くらいじゃないかと思う。もう少し多いかな。ネズミ算式に増えてるかも。

 あんまり人に話すような事じゃないんだけどね。人の内面への干渉は愚の骨頂だから。

10月24日(日)

 今日は秋華賞、地元のお祭り、そして声優のイベントのお手伝いと自分的に色々あった日だった。まあ割合的に言うと8:1:1くらいで終始秋華賞の事が気になって仕方なかったのだがまあ、そんなことはどうでもいい。

 イベントでは俺はパシリでした(笑)。まず着いてすぐにゲストさんやスタッフの方が食べるというのでお弁当を買いに走る。とんでもなく高い弁当にしてやろうかと思ったがやめておく。言われた通り普通の幕の内弁当などを買って帰る。すると今度はしばらくしてゲストさんがステージの中で喉を湿らすための飲み物が欲しいと言われる。「エヴィアン」とか「ヴォルヴィック」とかご丁寧に商品名付きで。

 そんなものは自動販売機には売っていない。しかも絶対にストローが欲しいと言う。結果、買いに走る。イベント会場の辺りにはコンビニ等と言った便利なものはなかった。近くのダイエーに走る。かなり距離がある。そして到着。買う。レジでストロー下さいと言うと、「小さいのしかないんですよ」といって見せられる。確かに小さい。ペットボトルの中に納まって二度と出てきてくれない小ささだ。これではストローとは言わない。お間抜けさんである。

 結果、買う。ストロー。自費で(苦笑)。どうすんだよこの何十本という大量に余ったストロー(苦笑)。俺もさすがにこんなに使わないよ。イベント自体はまあまあ盛況の様だった。なぜか小さな女の子がチラホラ(といっても2〜3人)いたのには驚いた。なんだったんだろう・・・。

 秋華賞?感想?・・・これが競馬だ。もう何も言うな。

10月25日(月)

 「エクセル・サーガ」を電車の中で読むのはもうやめる。危ない人に見られる可能性が非常に高い。家か職場で読みます、ハイ。今日は・・・まあ普通の一日だったかな?うん。特に変わった事はなかったんだけど、競馬ブックを職場に忘れた。月曜の夜は競馬コーナー更新の日なんだけど、あれがないとちょっと辛い。家のスポーツ新聞で書いても良いんだけど・・・。まあ、気分的に、ね。

 よって更新は火曜の夜かな。こういう時に限ってクサイフレーズとか思い浮かぶんだけど。ま、いいや。で、もう本当に書く事なくなってきた。とりあえず「ウィザードリィ」が出る前に「ジルオール」クリアしないと・・・。出来ないな、無理か。うん、どうでもいい。というか眠い。身体がだるい。優駿も職場に忘れた。最悪。明日は色々お買い物の日。さあ、散財だ!(苦笑)

 今日は頭まわんないわ。疲れた。というわけでサヨヲナラ・・・。

10月26日(火)

 食べ物が喉を通りません(苦笑)。いや、食べるには食べるんだけど。去年みたく食べるそばから吐いたりしないし。吐きそうだけど。とりあえず今日はかなり危なかったのです。辛かった。じゃあ帰りにゲーセン寄って踊るなよ、って感じなんだけどね(笑)。体力ないのに・・・。

 といういわけでドーピングしての出勤。まあ気力ってところかな。「効いてるはず」という思い込みで乗りきった。げー吐きそう。本音はすぐに横の布団に潜り込んで泥の様に眠りたいんだけど、それは明日。明後日休み。もう寝まくってやる!

 ・・・では。

10月27日(水)

 時々抗い難いほどの腹立たしさに襲われる事って無い?みるみっく風に訳すと、それがいわゆるストレスなんじゃないかなと思う。そんだけ。では今日の日記いくとしようか。

 例えばA(これは人でも事象でもなんでも良い)が正しい事が分かっていて、でも自分はBという信念を持っているとする。ついこの間の日記ではBという信念を捨てて、Aに行くことを潔しとした。別に考え方を変えるわけじゃない。ただ、それが一本道だと思っているほど俺の視野も狭くはないという事は分かって欲しい。キツイ指摘をされたわけではないけれど、俺もそこまでわからずやじゃない。

 良い意味で純粋。これは自分でも自覚している。あくまで良い意味で、だが・・・。純粋でロマンティスト(まあ競馬をやっている人のほとんどがロマンティストだと思う)。こう書くとテレテレ(笑)。が、実際は強烈なまでの自己中心型の破滅型。これが正しい。

 でもやっぱりAにしようよ。現実は事実ではあっても真実ではないかもしれない。その答がAにあるだけの事じゃない。

10月28日(木)

 ここのところ「お薦めコーナー」に対する反響がちょこっとある(CD、本を問わず)。嬉しい事だ。時々やってて虚しくなる時があるから(笑)。で、自分で作っといてなんなんだけど、俺的にはこういうのはあまり好きじゃない。知ってる人も多いかもしれない。俺は他の人に薦められる、というのがだ。

 別に薦められたからその作品に対して控え目になるとか言うわけじゃない。現に「エクセル・サーガ」は他の人に薦められて読み始め、挙句の果てには俺のコンテンツにまで出現するありさまだ(笑)。でも、やっぱり基本手に勧められるのは好きじゃない。なぜなんだろう。薦められれば薦められるほど退いてしまう。

 もちろん、直線的に”良い!”と感じたものは例外。音楽で言うとZABADAK(高校の時の先輩)に菅野よう子(現職場の先輩)とかね。ただし、その時には「購入予定より削除」的な電波が頭を駆け巡る。逆に俺が薦めてハマッた人間がいる。競馬、Leaf、Key、乃南アサ、マジック、村上龍、上遠野浩平・・・。薦めるのは好きで薦められるのは大嫌い。困った性格(苦笑)。

 俺に作品を薦めたいとか思ってる人がいれば、その方法は実に簡単。大手を振って褒めるのではなく、その作品に対して実直な否定点を述べるだけ。ものすごい判官贔屓な性格の俺は、それでダウンだ(笑)。

 なんてね。まあかなりどうでもいい話だけど。ま、一応記憶に留めておいて。

10月29日(金)

 今日の目覚めは強烈だった。ちょっとおセンチな今日の日記。今日の目覚めは愛犬のマッドプレス。頬が歪む。さすがに目覚める。すると急に吼え始める我が愛犬。さらに耳を澄ますと猫の鳴き声までする。

 俺の家に来た人間は知っているだろう。俺の部屋は外の道に直通。ちなみに一階。ようするに天下の往来から我が部屋が(窓が開いていればの話だが)見えるという部屋だ。猫の鳴き声がすぐ近くからする。・・・というかうるさい。やかましい。

 母親がたまりかねて外へ出る。そこで青ざめる母。捨て猫だ。家のガレージに。まいったなんてもんじゃない。困り果てた。どうしていいかわからない。すでに愛犬が鎮座している我が家ではこれ以上のペットは許されない。かといって放っておくわけにもいかない。とりあえず家へ連れこむ。さあ困った。とりあえず家において置けない以上、公的な施設に依頼するしかない。結果は絶望的にしても、だ。

 案の定帰ってきた答えは「薬殺」という言葉だった。貰い手が現れる可能性が成猫のそれより若干は高いとは言え、可能性としては極めて低い。そして待っているのはただの死、のみだというらしい。それは絶対に許せない。袖刷り合うも他生の縁。所詮猫とはいえ俺と同じ生き物に違いは無い。さらにこの子猫になんの罪も無いのだ。それでその先に待っているのは理不尽な死、ということになれば誰だって憤慨する。

 この保険所にも罪は無い。罪があるのは捨てていった愚かな元の飼い主に他ならない。一旦は(それが望まないものであるとはいえ)その命の責任を受け持ったものが、それを放棄する事は罪悪だ。俺はこれが非常に憎い。ぶん殴ってやりたい。

 とりあえず俺は仕事。母親に最終的には俺が面倒見るから絶対に保険所へは連れて行かないようにときつく言い放って出勤した。しかし心の底の不安は拭いきれない。その子猫のことばかり考えて、考えれば考えるほど悪い結果しか思い浮かばなくて、今日の午前中はかなりいつにも増してダークだった。当たり前だ。俺だってそこまで明るく振舞えはしない。

 今日は速攻で家に帰る。すると・・・、いた。いてくれた。心の底から溢れんばかりのの安堵感が湧いてくる。話を聞くと近くのペット屋さんが引き取ってくれるらしい。感謝極まりない。その期日は明日。

 おそらくもう二度と会うことは無いと思う。たったの30時間程度の事ではあるものの、その純然たる事実に俺は感謝したい。願わくばこの子猫に幸溢れる幸福な未来を。そう願う事ことのできる資格が、俺を始めとする俺の家族にはあるはずだ。

 人間も子猫も、たった一つの命に変わりは無い。こんなにも愛らしい子猫を捨てていった極愚者にはそういった概念すらなかったのか。拾われたのが我が家でよかったと思う。これ以上の最良の結果を得るのは少し難しいだろう。

 良い買い手に恵まれてくれ。俺に出来るのはそう願う事ぐらいだが、それは本心の心の声として持っていって欲しいぞ。

10月30日(土)

 新声社って潰れたんだよね。いや、これって今までの日記の中で一番どうでもいい事かも。こんなことを書くと「あそこも潰れないかな〜」なんて会社がいくつか出てくるのでやめ。イメージ的に、ね。罪も何も無いんだけど。

 でも明らかにおかしいと思える企業っていくとか心当たり無い?おれはあるぞ。書けないけど。書いたらどうなるか分かってるし(笑)。嫌だね、被害妄想って。まあ心当たりあるから出る杭を打とうとするんだろうけど。まあ雉だって鳴かなければ撃たれないし、平穏無事にやり過ごせばいいんだろうけど。そんなの嫌だ。それを分かってくれないから嫌いなんだ。

 ハイ、どうでもいいことはここでストップ。・・・朝令暮改・・・。ハイ、真剣にストップ!これ以上書くとダメです!・・・フゥ。落ち着こう。後先考えずに物事を批判するのは俺の悪い癖。思ってても胸中にしまっておいて周りには偽善の笑顔でご挨拶・・・、ああっ、ダメだって!!シャレになんないって!!

 そりゃ使うより使われるほうが楽よ?間違い無く。で、ようやく本日の日記スタート。

 明日は秋の天皇賞!競馬予想、参加してください!以上。・・・あ〜恐っ!地雷踏む気分(苦笑)。

※この話はフィクションです(どうしてこんな蛇・・・補足をしなけりゃいけないんだ!?)。

10月31日(日)

 日曜は競馬の話。今日は秋の天皇賞だった。さすがに東京まで行くのは簡単ではないので(有馬記念は行こうかと思っているが。ついでもあるし)直に見ることは出来なかった。休みだったので淀まで行こうと思えば行けたんだけど。まあ、今日一日は身体をゆっくり休ませていた。

 結果はスペシャルウィークの勝利で幕を閉じる。まずは全馬無事であった事に感謝したい。そして、おめでとう。ありがとう。強かった。本当に強かった。過小評価していた事をここに詫びたい。本当にすまなかった。

 スタート、道中、直線。たったそれだけの行程の中に、たくさんの人の願いと、夢と、そして想いが詰まっている。1分58秒がもたらした栄誉と、そして敗れた残り十六頭への屈辱がその短い時間に凝縮されていた。これが、競馬というものだ。

 勝利は一頭。そして残りは敗者。

 どんなロマンティストな作家でも競馬が織り成す物語は書けやしない。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだ。スペシャルウィークが勝った。セイウンスカイも、メジロブライトも、ツルマルツヨシも、メイショウオウドウも、クリスザブレイヴも、ホッカイルソーも、ダイワテキサスも、ステイゴールドも、サイレントハンターも、スティンガーも、サクラナミキオーも、シルクガーディアンも、エアジハードも、ユーセイトップランも、アンブラスモアも、キングヘイローも負けた。それぞれに敗因は多々あろうが、その事実は「第120回天皇賞」において決して変更は無い。これが、「第120回天皇賞」の結果なのだ。

 夢を、見た。まるで物語の中にいるような、そんな甘く、そして涙溢れそうな、そんな「第120回天皇賞」という夢だった。